2014年9月4日木曜日

美術史の「国際化」の現状と将来 −「エコール・ド・プランタン」東京大会を終えてみて−

[三浦篤]
 
 まずは、20146月に開催された「エコール・ド・プランタン(春のアカデミー)」東京大会が成功裏に無事終わったことを心から喜びたい。
 「美術史における枠組み」という全体テーマが、西洋と日本の美術における見方、考え方を相対化する刺激的な問題設定であったためか、多数の応募があり、その中から選ばれた発表の質は全体に高かった。また、プログラムに組み込んだ4つの講演が啓発的で、視野の広いものであったことも功を奏したと思う。発表後の質疑応答のみならず、休憩やレセプションの場においても、参加者相互で熱心な議論や交流が見られたのは、1週間にわたる国際セミナーの大きなメリットであった。その結果、西洋美術と日本美術の間に横たわる多様な問題(価値観の差異、主題や造形手法の相違、両者の影響関係等々)に関して、相互の立場から理解をある程度深めることができたのは大きな成果であったと言えよう。


 さて、今回のセミナーの最大の意義は、日本の美術史研究を国際的なネットワークの中に参加させるようささやかな一歩を進めたことにある。極東の島国として孤立することなく、世界水準で教育、研究を行うことは人文科学の喫緊の課題であるが、今回のセミナーは美術史におけるその突破口の一つになったと思うし、今後も続いていくことを期待している。とりわけ、20代後半から30代前半の国内外の優秀な若手美術史研究者が、これだけの数で集まる機会は滅多にない。今回の経験が、これからグローバルな場で活躍すべき日本人研究者の血肉となり、研究活動に生かしてくれることを願って止まない。
 逆に、来日した40人近い外国人研究者たちにとっても、セミナーを通して日本の美術史研究および研究者を知るばかりか、未だ充分に海外に伝わっていない日本文化、日本美術を知る良い機会にもなったと確信する。美術館、展覧会見学の機会を設けて、外国人研究者が直に日本美術に触れられるきっかけを作ることができたのも良かった。このような実質的な交流の場を整えることこそが、日本の美術史学が国際的なレベルで発展していくために、もっとも効果的な手立てのひとつであることは間違いなかろう。


 むろん、こうした試みの第1歩としての限界はあり、日本語、日本文化を知らない外国人研究者とどのように議論し、お互いに理解を深めていくのかという問題点も浮き上がってきた。今回は通訳なしで主に英語、フランス語を使用したが、率直に言って、これでは対等の関係とは言えないし、本当の意味でグローバルな比較などできないと思う。世界的に見て美術史学が西洋中心であることは否定できないし、コミュニケーション言語として英語を話すのは現状では必須であろうが、多言語主義を標榜する「エコール・ド・プランタン」が日本やアジア地域にまで、真に(というのは、「植民地主義」的な構えでなくという意味であるが)領域を拡大できるかどうか見守っていきたい。日本語を知らなければ日本美術の理解も畢竟浅いレベルに留まらざるを得ないが、はたして日本語を習得するところまで日本文化に興味を抱く研究者は欧米にどれくらい存在するのであろうか。
 また、今回のセミナーはほとんど西洋と日本の関係に終始し、ごく稀に中国や韓国のことが話題になる程度であったが、これも不十分な「枠組み」であろう。美術史のネットワークをアジアに拡大し、研究者の交流を積極的に推進することも今後の重要な課題となるだろう。今回のセミナーを通してそのことを意識させられたのも、予想外の収穫であったと言ってよい。


 セミナーの効果の話に戻ると、これを足場として優秀な日本の若手研究者たちが世界に飛躍していくことを念願している。セミナーに参加した外国人教員の元に留学することも不可能ではないだろうし、共同研究の可能性も開かれている。過去3回の大会に参加した若手研究者たちが、外国語を駆使しながら既に国際的なネットワークの中で各々の研究を展開している事実にも勇気づけられるだろう。現在では、海外のシンポジウムに応募して研究発表したり、外国の専門誌に論文を投稿したり、外国人研究者たちと個人的につながりを持ったりするのは、当たり前なのだから。そのような人材が引き続き出現してほしい。
 最後に、このように大規模な国際セミナーを開催し、つつがなく運営するためには、さまざまな条件が整うことが必要であった。運営委員として、学生スタッフとして協力してくれた皆さん、会場等に協力して下さった諸機関、そしてまた、大会の意義を認め寛大なご支援を賜った公益財団法人石橋財団に対し、組織責任者として改めて心より御礼申し上げたい。